橋本左内
福井藩主、松平春嶽に仕えた藩士。
1824年 誕生。
1848年 15歳にして「稚心を去る。志を立てる。」という自らの考えをまとめた『啓発録』を著す。
1849年 16歳。大阪、緒方洪庵の適塾に入門し蘭学を学び、外科医となる。
1852年 19歳で家督を相続し、藩医となる。
1854年 江戸遊学。
1857年 明道館学監同様心得に就任。同8月、江戸へ。
1858年 一橋慶喜を将軍にするよう尽力するが、失敗。春嶽、隠居。左内は自刃を決意するが、春嶽に止められる。
1859年 安政の大獄。斬首の刑に処される。
啓発録内容
一.去稚心(稚心を去る)
一.振気(気を振う)
一.立志(志を立てる)
一.勉学(学に勉める)
一.択交友(交友を択ぶ)
啓発録豆知識
左内は自分のことを、気が弱くて怠け癖があり、勉強を怠ってしまうと考えてたようです。そのため、自分への戒めとして書いたといわれています。
西洋の科学と日本人
西洋から学ぶべきことはたくさんあり、大切なことだが、日本人の誇りを捨てて西洋の真似をすればいいということではない。日本が外国に屈しないためには、まず日本人としての誇りを身につけることが先であると考えていた。
西郷隆盛と左内
西郷隆盛は、左内の話す日本の現状と世界の情勢、そして日本は今後どうあるべきかという内容を聞き、その広い知識と洞察力に大変驚き、7歳も年下の左内を尊敬するようになったといわれています。
私(TAKA麻呂)の語る橋本左内
26歳の若さで斬首の刑に処される。多くの人に影響を与えたのでしょう。その影響力の高さゆえに、井伊直弼に危険視されていたのでしょうね。自分を曲げない生き方は、さすがに尊敬できる人物であると思いました。そして、その「学びたい」という姿勢はかなりのものです。獄中にあってもなお、勉学にはげみ、本を執筆し、かの吉田松陰にも影響を与えたということですから。松陰は、同じ獄中にあって、左内と会えないままに左内の斬首を知ったそうです。
左内が現代に生を受けていたならば、どれほどまでに嘆いていたことでしょう。日本人が日本人であることを忘れ、周辺諸国との関係もまた不安定な現代。その中であって、日本の若者たちはその状況をまるで当事者でないかのように生きており、政治家は己の党の保身を考え、ただただ票集めのことを考えている。
中学2年生で立志式というのを行うというのが、周辺の中学校の習わしです。もちろん私もやりましたが、その時は全く理解できませんでした。そして、左内という人物のすごさがわからないままでした。福井市は、もっとこの偉大な人物を広めなければならない。その考えのすごさを理解する人を増やさなければならない。強く思いました。
1824年 誕生。1848年 15歳にして「稚心を去る。志を立てる。」という自らの考えをまとめた『啓発録』を著す。
1849年 16歳。大阪、緒方洪庵の適塾に入門し蘭学を学び、外科医となる。
1852年 19歳で家督を相続し、藩医となる。
1854年 江戸遊学。
1857年 明道館学監同様心得に就任。同8月、江戸へ。
1858年 一橋慶喜を将軍にするよう尽力するが、失敗。春嶽、隠居。左内は自刃を決意するが、春嶽に止められる。
1859年 安政の大獄。斬首の刑に処される。
啓発録内容
一.去稚心(稚心を去る)
一.振気(気を振う)
一.立志(志を立てる)
一.勉学(学に勉める)
一.択交友(交友を択ぶ)
啓発録豆知識
左内は自分のことを、気が弱くて怠け癖があり、勉強を怠ってしまうと考えてたようです。そのため、自分への戒めとして書いたといわれています。
西洋の科学と日本人
西洋から学ぶべきことはたくさんあり、大切なことだが、日本人の誇りを捨てて西洋の真似をすればいいということではない。日本が外国に屈しないためには、まず日本人としての誇りを身につけることが先であると考えていた。
西郷隆盛と左内
西郷隆盛は、左内の話す日本の現状と世界の情勢、そして日本は今後どうあるべきかという内容を聞き、その広い知識と洞察力に大変驚き、7歳も年下の左内を尊敬するようになったといわれています。
私(TAKA麻呂)の語る橋本左内
26歳の若さで斬首の刑に処される。多くの人に影響を与えたのでしょう。その影響力の高さゆえに、井伊直弼に危険視されていたのでしょうね。自分を曲げない生き方は、さすがに尊敬できる人物であると思いました。そして、その「学びたい」という姿勢はかなりのものです。獄中にあってもなお、勉学にはげみ、本を執筆し、かの吉田松陰にも影響を与えたということですから。松陰は、同じ獄中にあって、左内と会えないままに左内の斬首を知ったそうです。
左内が現代に生を受けていたならば、どれほどまでに嘆いていたことでしょう。日本人が日本人であることを忘れ、周辺諸国との関係もまた不安定な現代。その中であって、日本の若者たちはその状況をまるで当事者でないかのように生きており、政治家は己の党の保身を考え、ただただ票集めのことを考えている。
中学2年生で立志式というのを行うというのが、周辺の中学校の習わしです。もちろん私もやりましたが、その時は全く理解できませんでした。そして、左内という人物のすごさがわからないままでした。福井市は、もっとこの偉大な人物を広めなければならない。その考えのすごさを理解する人を増やさなければならない。強く思いました。
12:19 PM | comments (0) |
