橘曙覧
たちばなあけみという、日本を代表する歌人の1人。ちなみに男性。
幕末の歌人であり国学者でもあった。

文化9年(1812)、福井城下石場町(現つくも1丁目)に、文具などを商う商家、正玄家の長男として生まれた。
天保3年(1832)なお(直子)と結婚したが、国学や文学の道を志した曙覧は、家業を異母弟に譲って愛宕山(現、足羽山)に隠棲した。
嘉永元年(1848)には三ツ橋(現照手2丁目)に居を移し藁屋と称した。
福井藩16代藩主松平春嶽の訪問を受け、その後交流を持つが、春嶽からの福井城出仕の要請には辞退をしている。
慶応4年(1868)8月28日、57歳で病没。
『志濃夫廼舎歌集』に数多くの名歌を残し、明治32年には正岡子規によって「万葉、実朝以来の歌人」と絶賛され、全国的に紹介された。
「たのしみは」で始まる一連の歌を集めた『独楽吟』とは彼の歌を編纂したものである。
1994年、今上天皇、皇后がアメリカを訪問した折、ビル・クリントン大統領が歓迎の挨拶の中で、この中の歌のひとつを引用してスピーチをしたことで、その名と歌は再び脚光を浴びることになった。
TAKA麻呂の語る橘曙覧
生家跡は家から100メートルというところだろうか。笏谷石で作られたその石碑は、その石の脆さゆえに角は欠け、文字は擦り減って読めない状態だった。
小さい頃はそれがなんだかわからず、腰かけたものだ。信号機の真横にある時点で、腰かけるものだと思うのは当然だと。なぜかいつも、傘が掛けられていたし。
福井市としても、その程度の人としか思ってなかったのだろうなぁ・・・あの日までは。
アメリカの大統領が日本の短歌を詠んだあの日から、橘曙覧の扱いは急変した。
石碑は新しくなり説明パネルも付いた。さらに、記念文学館が作られた。
福井市としては、これを期に橘曙覧の福井ということで歴史の町として全国から観光客が来てくれるものと思っていたのだろうが・・・そんなに甘くはなかったですね。
それでも、彼の残した温かな歌の数々は素晴らしいと思うのです。
だけど歌というものは、感性がある程度ないとわからないもので、その歌から得られるものを想像力で自分の世界に変えないといけないものなのですよ。
「たのしみは 朝起きいでて 昨日までなかりし花の 咲ける見る時」
これも彼が詠んだ歌です。独楽吟の中のひとつですね。
自分に置き換えて考えます。
朝起きて、植えてある花を見てみる。昨日まで咲いていなかった花が、開いていた。ああ、やっと咲いたんだ。
人生の中でのほんの小さな感動ですが、それを歌にすることは難しいことです。
さらにそこからもうひとつ想像して「明日はどのくらい咲くかな」とか考えると、さらにたのしいですね。
クリントンさんは、花を『国と国とのより良き関係』という意味で考えていたようです。それもまた素晴らしい。
そういえば、彼は松平春嶽に城においでと言われていたのですね。
行かないと言ったのは、残念だけれども彼らしいです。
もし行っていたらどうなっていたのかを考えると・・・今残っているような、心に残る温かな歌は詠めなくなっていたかもしれませんね。
幕末の歌人であり国学者でもあった。

文化9年(1812)、福井城下石場町(現つくも1丁目)に、文具などを商う商家、正玄家の長男として生まれた。
天保3年(1832)なお(直子)と結婚したが、国学や文学の道を志した曙覧は、家業を異母弟に譲って愛宕山(現、足羽山)に隠棲した。
嘉永元年(1848)には三ツ橋(現照手2丁目)に居を移し藁屋と称した。
福井藩16代藩主松平春嶽の訪問を受け、その後交流を持つが、春嶽からの福井城出仕の要請には辞退をしている。
慶応4年(1868)8月28日、57歳で病没。
『志濃夫廼舎歌集』に数多くの名歌を残し、明治32年には正岡子規によって「万葉、実朝以来の歌人」と絶賛され、全国的に紹介された。
「たのしみは」で始まる一連の歌を集めた『独楽吟』とは彼の歌を編纂したものである。
1994年、今上天皇、皇后がアメリカを訪問した折、ビル・クリントン大統領が歓迎の挨拶の中で、この中の歌のひとつを引用してスピーチをしたことで、その名と歌は再び脚光を浴びることになった。
TAKA麻呂の語る橘曙覧
生家跡は家から100メートルというところだろうか。笏谷石で作られたその石碑は、その石の脆さゆえに角は欠け、文字は擦り減って読めない状態だった。
小さい頃はそれがなんだかわからず、腰かけたものだ。信号機の真横にある時点で、腰かけるものだと思うのは当然だと。なぜかいつも、傘が掛けられていたし。
福井市としても、その程度の人としか思ってなかったのだろうなぁ・・・あの日までは。
アメリカの大統領が日本の短歌を詠んだあの日から、橘曙覧の扱いは急変した。
石碑は新しくなり説明パネルも付いた。さらに、記念文学館が作られた。
福井市としては、これを期に橘曙覧の福井ということで歴史の町として全国から観光客が来てくれるものと思っていたのだろうが・・・そんなに甘くはなかったですね。
それでも、彼の残した温かな歌の数々は素晴らしいと思うのです。
だけど歌というものは、感性がある程度ないとわからないもので、その歌から得られるものを想像力で自分の世界に変えないといけないものなのですよ。
「たのしみは 朝起きいでて 昨日までなかりし花の 咲ける見る時」
これも彼が詠んだ歌です。独楽吟の中のひとつですね。
自分に置き換えて考えます。
朝起きて、植えてある花を見てみる。昨日まで咲いていなかった花が、開いていた。ああ、やっと咲いたんだ。
人生の中でのほんの小さな感動ですが、それを歌にすることは難しいことです。
さらにそこからもうひとつ想像して「明日はどのくらい咲くかな」とか考えると、さらにたのしいですね。
クリントンさんは、花を『国と国とのより良き関係』という意味で考えていたようです。それもまた素晴らしい。
そういえば、彼は松平春嶽に城においでと言われていたのですね。
行かないと言ったのは、残念だけれども彼らしいです。
もし行っていたらどうなっていたのかを考えると・・・今残っているような、心に残る温かな歌は詠めなくなっていたかもしれませんね。
09:04 AM | comments (0) |
