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 由利公正

福井生まれ。官僚、政治家。福井藩士。横井小楠の影響を受け、財政を学ぶ。
1829年 福井藩士・三岡義知(みつおか よしとも)の長男として生まれる。幼少期より貧しい家計を助け、菜園栽培、乗馬飼育など労働に励んだ。

そんな由利の人生を変えたのは、熊本藩からやってきた横井小楠の影響であった。小楠は開明な福井藩主・松平春嶽(慶永)の招きに応じて、はるばる熊本からやってきた逸材で、逼迫する福井藩の財政建て直しの任にあたったのである。
この経世済民思想を掲げた小楠に共鳴した由利は、小楠に師事して実学主義を修学した。そして、小楠とともに藩財政の再建に尽力した。

1858年(安政5年)、帰藩の旅路についた小楠に同行した由利は、下関で物産取引の実状を探り、長崎にては、オランダ商館と福井藩との生糸の交易が可能かどうかをつぶさに調査した。これら福井藩の藩財政の重要な交易ルートの確保を調査した由利は、帰藩後、さっそく物産総会所の設立に務め、藩の貿易強化を目指した。

その財務力を賞賛された由利は、藩主・春嶽に重用されるようになり、ますます藩政改革に影響力を及ぼしたが、挙藩上洛をめぐる藩内抗争に巻き込まれ、由利は処罰を受ける。そして、1863年から四年間もの間、謹慎蟄居の身となる。

その後、坂本龍馬とめぐり会い、龍馬は由利の持つ素晴らしく卓越した財務能力を高評し、1867年(慶応3年)、龍馬の推薦で新政府徴士参与に抜擢される。

その後、関西の豪商たちと交渉し、新政府に必要な莫大な運営資金を融資してもらうことに成功し、新政府にとっては欠かすことのできない有能な事務官僚となった。

その後も太政官札の発行を建議して実現にこぎつけるなど新政府の統治政策に大きな貢献を成した。また、「五箇条の御誓文」の草案を起草した人物としても知られ、戊辰戦争の真っ只中にあって、戦争にはやる志士たちとは、違って法規をもって、新政府の存在確立を目指すなど根っからの文治派政治家であった。

ホームページ維新の志士たちより


TAKA麻呂の語る由利公正
福井において、ないがしろにされている人物の一人でしょう。橋本左内もそうですが、福井藩には先を見てどうしたらいいのかをしっかりと考えることができる人が揃っていたのです。松平春嶽も由利公正も、明治維新に欠かせない人物ですが、彼らがどのような人だったのか知っている福井の人はあまりにも少ないでしょう。まあ、私もそうでしたけどね。「ただある」をはじめて、こういった人たちを調べるという機会ができ、知ることができて、本当によかったと思いますね。社会の授業中はよく寝てた私が悪いんですけどね(苦笑)

03:47 PM | comments (0) |

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